2025年1月31日、10年一緒に働いた相棒の同僚が退職した。
特に最後の2年半はお互い同じプロジェクトの重要なポジションで充実した時間を過ごした。
私はプロジェクトのデザインチームのリーダーと副プロジェクトマネージャーで、彼女はサービスディレクターをしていた。
社内で珈琲をとりにいくほんの5分の間でも、その間にあったお互いの仕事の内容を共有した。
会社から徒歩10分圏内に自宅がある私は、よく終電を逃した彼女の避難場所になった。
深夜に帰ってきて、次の日も朝早いのに仕事の話や人生の話をずっとしていた。
体調を崩してもなお頑張り続けてしまう彼女をとめて病院の予約をとったり、私がコロナや高熱で倒れると出勤前に食べるものを届けてくれたり、仕事以外の面でもお互いに支え合っていた。
お互いもともとデザイナーからキャリアをスタートした。
新卒の右も左もわからないときから同じ会社で育ち、さまざまな経験を経てリーダーやディレクターを任されるようになっていた。
近いようで違う脳みそを使うポジションにいたからこそ、同じプロジェクトにいながらお互いの視界は全く違っていて、脳内同期をすると視野が広がる感覚があった。
そんな相棒の突然の退職。
しょっちゅう人生の話はしていたし、はっきり言葉では言わないものの、ずっとこの会社にいるとは思っていなかった。
特に2024年は大きなポジションを任されて、1年はどんなにつらいことがあっても吸収して勉強するんだ、という強いモチベーションがあることを知っていたので、
2025年はきっと新しいチャレンジをするだろう、と薄々感じていた。
なので退職の話を聞いたときはさほど驚かなかった。ああ、来てしまったんだな、という静かな風が心に吹いた。
2024年は私にとって30余年の人生の中でも最高の1年だった。
プロジェクトのみんなと同じ方向を向いて頑張って、それが確かな手応えとなった1年だったし、プライベートでも初めての挑戦があったり、新しい発見があったり、とても充実していた。
今年は間違いなく最高の1年だったなぁ、としみじみしていた12月20日に告げられたのである。
自分は何をやりたいのか?
1ヶ月いろんなことを考えた。今までのことを思い返すとか、いなくなったときのための引き継ぎ準備などではない。
「私がほんとうにやりたいことってなんだっけ?」
実は相棒だけでなく、尊敬する上司も同じタイミングで退職することが決まっていた。
正直自分のビジネス的な側面ではこちらのほうが衝撃が強く、もっとこの人から学びたいことがたくさんあるのに、という気持ちで思考停止してしまった。
今回その大きな存在である2名の退職により、自分がいかに「誰と働くか」を大事にしているかを痛感した。
「誰と働くか」という働き方でも間違ってはいないのだが、一緒に「何をやりたいか」がないと、対象の人がいなくなってしまうと道しるべを失ったようになってしまうのだ。
一緒に働きたい人がいなくなってしまったら自分もここから離れてしまうしかないか?でも「やりたいこと」がわからなければ次どこへ行って何をしたらいいのかわからなくなってしまうのである。
自分のタイミングではなく、他人の決断により自分のことを考えなければならない状況がどうにもつらかったが、これはチャンスだと思うことにした。
考える機会をくれたのだと。
この騒動がなければ、きっと2025年も同じように元旦を迎え、毎日を忙しなく邁進していたと思う。もちろんそれもいいことだけれど。
私は自分のことが大好きだ。
どうやったら今の仕事で貢献できるか、自分の強み・弱みはなにか、興味があること・ないことはなんなのか、など自分の内面を深堀りするのは得意なほうだ。
それでも、「誰と働くか」の誰の部分が急に空白になってしまうと「あれ、自分って本当はなにをしたかったんだっけ?」となってしまって、それがものすごくつらかった。
主体性がない自分なんて知らなかったからだ。
3週間くらい「やりたいことの探し方」のような本を読み漁って、自分の過去の原動力をさぐるワークなどをひたすらやった。
なんで私が「やりたいこと」を探してるんだろう、今までやってきたことってやりたいことじゃなかったのかな、ととても惨めで不安な気持ちになった。
まるで就活が始まろうとしているときの自分で、なんでこんなに時間が経ってからあの苦しいときのことをもう一度やらないといけないんだろう、しかも他人の決断で。
「自分が主体で動いていない」という事実がこんなに不安定な液体のような感覚をもたらすものだと初めて知った。
おもしろい人生にしたい!

ここでいくつか、見つけたやりたいことの中の一つが「文章を書くこと」である。
そしてこのブログを開設して、拙いながらも発信を始めた。自分がやりたいことについては、ぼんやりとだけど「こういうことなんじゃないか」という形が見えてきた。
やはりなにかをつくる仕事をしたいと思った。つくる側から支える側に回ってから5年くらい経った。
自分はこちらのほうが向いている、貢献できると思っていたが、心の奥底ではまだクリエイティブな情熱がほんの少し残っていた。
今まではそれがイラストやデザインだったが、文章という新しい分野に挑戦しようと思う。それはきっと今の仕事にも間接的に生きてくるからだ。
そして、将来的には「旅ぐらし」がしたい。
去年たくさん旅行をしてみて、「移動すること」が自分にとって刺激的であることがわかった。
フットワーク軽くいろんなところへ行く。会いたい人に会う。行ったことのないところへ行く。
そのためには、将来的には一つのところにとどまらずに仕事ができるようになりたいと考えた。
私にとっておもしろい人生は、自分にとって刺激的だったことを人に伝えること。
刺激を絶やさず、発信する生活がしたいと思った。
今年は挑戦の年。そして習慣が人を変える。
10年充実した時間を過ごし、別れ前向きに原動力に変え、私も新たな挑戦で人生の節目にして行きたいと思う。